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Hamanako Eel

浜名湖周辺でうなぎの養殖が始まったのは明治33年(1900年)。
当時、天然うなぎとしては小さいと捨てられていた15cmの幼魚から日本で初めての養殖が行われたと言われています。
浜名湖は、海水と淡水が混じる汽水湖で、海で生まれ、川に遡上するうなぎの生育には適した環境のため、うなぎの稚魚がたくさん獲れました。また、年間を通して温暖な気候と豊富で豊かな水源があり、餌となる小魚も豊富です。

養殖の際、餌にしていた養蚕サナギは、遠州織物で有名な浜名湖周辺で潤沢に確保できたことから、浜名湖はうなぎ養殖の発祥地として発展します。
加えて、東海道の交通の要所である浜松に近く、物流面でも関東と関西の中間点にあったことから、浜名湖のうなぎ養殖は全国的にも有名になっていきました。

現在国内のうなぎの稚魚は年々減少しており、ニホンウナギは環境省や環境保護団体・国際自然保護連合(IUCN)から相次いで絶滅危惧種に指定されています。
安心安全でおいしい国産のブランドうなぎなのです。

古くから食されてきたうなぎ

茨城県の陸平貝塚では大量のうなぎの骨が発掘されていることから、縄文後期、日本人は既にうなぎを食べていたといわれます。
うなぎが文献に登場するのは奈良時代。
万葉集で大伴家持が、親しい友人である吉田連老(通称:石麻呂)をからかった歌にうなぎが詠まれています。

「石(いわ)麻呂(まろ)に 吾(わ)れもの申(もう) す夏痩(なつや)せに 吉(よ)しといふ物(いうもの)ぞ 弐奈伎(むなぎ)とり食せ(めせ)」巻16‐3853

石麻呂に 伝えておくぞ夏痩せに いいらしいから うなぎ捕って食え

「痩(や)す痩(や)すも 生け(いけ)らばあらむを 将(はた)やはた 弐奈伎(むなぎ)を漁る(とる)と 河(かわ)に流るな(ながるな)」巻16‐3854

痩せ過ぎでも 生きられればよい まさかうなぎを 捕りながら河に 流されるなよ

この時代からうなぎは精がつく食材として知られていたのですね。
一方、十返舎一九の「東海道中膝栗毛(1802-1814)」には以下の記述があります。

「かの弥次郎兵衛きた八、これを打(うち)わたりて、あら井の駅に支度とゝのへ、名物のかばやきに腹をふくらし、休みいたる」

また、歌川広重の浮世絵集「東海道五十三図会(1833-1855)」の31番・新居宿にはうなぎの串焼きが描かれています。

新居宿は浜名湖西岸に面した現在の静岡県湖西市です。
江戸時代、浜名湖の天然うなぎは旅人の楽しみのご当地飯だったようです。

うなぎは古くから愛されてきた日本の代表的な食文化の一つ。
日本では今も昔も、夏場の食欲が無くなる時期に、元気を取り戻す特別なものとして親しまれています。
その鰻の養殖技術を確立し、おいしい鰻を丁寧に育て続けているのが、浜名湖周辺地区です。